160627ニッポンサポートセンター
地方都市の家庭の問題(DVとか)や児相についての窓口になった施設とそこの指定管理者になったNPOの人たちと、サポートスタッフの人たち、そこに訪れる相談者たちの一幕。
割とメッセージが直接的で(後輩は広がりがなかったといった)言いたいことを言ったという印象。
そこに見えるのは焦りか。滅びゆく日本の影絵というようなある種の郷愁というよりは最後の叫びに近いような。問題に対して考えさせるのをやめて、問題は問題だとはっきり言おうとしたような気がする。
扉を閉めたその向こうのことが分からずに見つめる姿は解決できない問題への絶望のようなものを感じる。その絶望の背中を見て僕たちは何を思うべきなのか。
ひょっとすると僕らの背中を絶望したとらやの面々が見ているのかもしれない。
個と公共という対立のバッファとして機能していた町内会的組織が崩壊してむき出しの個と公共という集団とが直接対峙することに耐えられない日本人。
学生たちはしかしそこに対して回答を模索してるようには見えなかった。
囲碁が得意でも言わなかったインターンの子が最後に思わず置く一手は、未来への希望なんやろうか。牧歌的解釈すぎるか。
若い子たちには見えているのかもしれないなー。
ストーリー自体は三谷幸喜くらい分かりやすく、こういうのも書けるんですよということか。問題をまっすぐに出すと決めた時にどう劇としてのバランスをとるのかと考えたときの一つの解か。
個別の問題ではなく、それらを取り巻く状況をみせていたけど、東京では理解されにくいかもしれないな。とうにそんな地縁とは切り離された人であふれているから。そんな人たちにとってはどう見えるのか。義憤?