凡汁日誌

じわっとしみでる凡人の汁。食べ物、芝居関係が多くなるかと。

雑感160417

自分のことしか書いてないからあれやけど、14日に熊本ででかい地震があった。15にもさらにひどいのがあって、大変なことになっている。

で少し精神的にまいってる。
勤めてる会社の置かれている状況も含めてやけど。

なんとなく災害が増えていくんやろうなぁという世の中で
経済的にも先行きそんなになくて
その中で政治に期待したいことはたくさんあるけど
むしろ僕が願う方向とは逆に向かっていて
世間は無自覚なまま自分たちの呼吸を苦しくして
生きる希望がないなぁ。

前にNHKでやってた「わたしの星」をみた。ままごとの柴幸男が高校生をオーディションで選んでつくった芝居。
平田オリザ氏の転校生と似ていた。
設定も誰かが入ったり出たりする話だし。あと、青春舞台の女子高生とも似ていた。

転校生は確実に参照してると思う。しかし、青春舞台と似るというのはどうだろう。高校生が手に届く範囲から先にいっていたのだろうか。
さらにいうと、自分の作品わが星のコンセプトも使っていて、リミックスといえばいいけど、なんか縮小再生産感が否めない。

火星を地球にしてしまったように、他の何かだったものをわたしの星と呼んだような、居心地の悪さ。


ちなみにわが星は傑作。

わが星 『OUR PLANET』 [DVD]

わが星 『OUR PLANET』 [DVD]


「わたし」と「私」が出会うとき
を見てきた。

セルフプロデュースだったのか、非常に分かりやすい展示構成になっていた(学芸員ってやっぱり理屈っぽい)。
フリーダカーロの間くらいから結構くるってきたなーと思いはじめたけどベラスケスの間ですげー怖くなって、次のエルミタージュから作品がなくなったところでわーってなった。
作者が自画像になることでどんどん吸い取って肥大化していくといくようにも感じたし
留まり続けるはずの自画像をこちらに引っ張りだした、封印が解かれたようにも感じた。

なんかでもカタログとか読んでると全然違う意図やったみたいで、がっかりしたような面白いと思ったような。


美大に入って、表現主題が見つけられないという話をきいて、それって、基礎基本の学力を教えたら勝手に活用すると思ってたのに、実は活用することを教えないとダメだったんだ、という今の教育改革の流れと一緒やなぁと思った。
いわゆる学力に対してノンをつきつけたい美術が、テクニックの習得に終始して、表現したいと思う心を育てていないのは、なんとも日本の美術教育らしくて面白い。

結局はどう生きるのか、を考えることができないと表現なんてできない。
つまりは哲学の問題なんだよな。
美術は、どう生きるかを考えることの大切さを伝えないと。

実は算数も理科も国語も同じやけどな。

どう生きるか。

なんとなく最初の話題に戻った気がする。

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般゜若のカレー。