凡汁日誌

じわっとしみでる凡人の汁。食べ物、芝居関係が多くなるかと。

161202ダイアログインザダーク

ダイアログインザダークという施設に行ってきた。

 

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

 

とても素晴らしい体験をした。

全くの暗闇の世界を体験できる場所。

暗闇に対する恐怖心を下げるエンタメ感(ディズニーのような)たっぷりの前説。
打って変わって静かな導入。
暗闇の中でコミュニケーションをとりながらいくつかのアクティビティをこなしていく。
最後はバーでの飲食も少し。

視力がない世界で物を見るのは触覚と聴覚が強く働く。白杖や触覚、音声が外界とのコミュニケーションの手段になる。
それでも「ここが〇〇です」と言われると知ってる〇〇のイメージを引用して世界を把握しようとする。そうして安心しようとすると同時にもどかしさを強く感じる。
そのうち体が先に動くようになって、触れたものや感じたことから世界を捉えようとするようになる。
バーで少ししゃべっている時は、視力がなくてもゆったりした気分でリラックスできたような気がする。

普段視力を前提とした商品を作ることをしてると確実に抜け落ちている世界があることを強く感じた。同時に「形や色 イメージ」ってなんなのかを強烈に考えざるをえなかった。
また、コミュニケーションというのがいかに曖昧なのかを感じた。視覚が働かないと伝わらないと感じることが多かったけど、実は視覚が働いていても伝わっていないのかもしれない(企業研修もやっているという。是非やるべき)。

視覚は一つの例で、人は常に何かに依拠して、自分が認識している世界を誰かも認識しているという前提で物事を進めているということを強く感じることができた。

全ての人が体験するべき場所だと思う。

もう一つ重要なのは、イベントをアテンドしてくれるのが目の見えない人だということ。

普段僕らが「障害者」とよぶ人が僕らを引率する立場に立ち、暗闇の世界の初心者はいわば「障害者」になる。彼らの気持ちがわかる、というような次元ではなく、関係はもちつもたれつであるということが、上記のイベントを通じて実際よくわかる。我々はなんと誰かにとって優しくない世界を構築していることか。誰にとっても心地よい社会の創造は即デザインにつながる。ユニバーサルとかではなく、そもそもデザインとはそういうことではあるまいか。

この施設の素晴らしいところは、僕らが僕らの認識という個人の世界観の更新ができること、他者や他物とのコミュニケーションのありかたを更新できること、そういうイベントを通していわゆる「視覚障害」を持つ人たちに仕事を提供していることだと思う。

この経験は、体に混ざり込んで一生抜けることなく僕の人生に影響を与えると思う。多分経験した人皆がそうであると思う。
それほど強烈な経験だった。

もっとたくさんの場所にあればいいと思う。


ちょうど今日別件で、紙面が難しすぎてわからない、というクレームを営業からうけた。

わからないことはダメなのか。
わからないことは考えるきっかけじゃないのか。
わかる紙面だけで構成されているのがよいのか。
手がかりを見落としている(感じ落としている)だけなのではないのか。
営業が「現場がわからないものは拒絶される」と考えるのは現場に対してあまりに過小評価なのではないか。

というか、そもそもわかるとはなんなのか。


何か共通するものを感じた。

そういえばこのイベントは会社の福利厚生の一環で、いくつか選べた中の一つだったけど参加者は5人だけだった。
劇団四季が悪いとは言わないが(悪いけど)、そんなにわからないものに興味をもてないか。
見えない世界を見ようとしない人に、わからないってクレーム言われてもなー。

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