凡汁日誌

じわっとしみでる凡人の汁。食べ物、芝居関係が多くなるかと。

前半は愚痴 野田マップ「逆鱗」(ネタバレあり)160205

起きてメール見たら昨日校了したはずのやつからミスが見つかってた。
なにやってるんや……。

ここ数日また編集の「センス」について悩むことが多く
一歩も動けない感じになってたけど
校正もザルとなれば
これはもうどうしようもないな、と。

本というある物質をどうつくりあげるのか
情報の精査
情報の整理の仕方
本としての佇まい
これに加えて進行の管理
円滑なコミュニケーション
コスト感覚
丁寧な作業

どれも持ち合わせてない……。

行き当たりばったりで誤魔化し誤魔化し生きてきたのがよく分かる。

一度立ち止まって整理したいけど
時間があるときに限ってやる気にならない。

病気か?と思いたくなる。

せめてこうして書くことで
少しでも意識化できればよいが。


夜は心待ちにした野田マップの「逆鱗」をみる。

号泣。
前半の割とドタバタな感じ(誰かがスラップスティックと書いてた。確かにそんな感じもする)から、徐々に徐々に不穏な空気が滲み始める。
あるシーンで決定的な不吉の影が差し、でもまだ危うい日常が続く。
そして気がついた時には悲劇に飲み込まれている
そんな印象だった。
冷静に見ると割とはっきりとここからですよ、というようにはなっているんだけど
見ているときに感じさせない。それほどまでに引き込まれてしまったんだと思う。
本当に素晴らしく、みんなに見てもらいたい。

野田秀樹は結構政治的な芝居をかくことが多くなって
僕はそれらの芝居がとても好きだ。
演劇というフィクション、大ボラ、大風呂敷を通じて
ある事件や歴史に対して人間がもつ「感覚」を伝える。
史実をドキュメンタリーとして残すことも大切だけど
大風呂敷によってその感覚を増幅させて届けることは
おそらく演劇にしかできない。
演劇のリアリティは、リアルであることと全くかけ離れていても成立する。
それが演劇の魅力だと思う。

野田秀樹は、自分が今演劇人として社会に対して何ができるかを正しく考えている人間だと思う。
芸術が社会対して力をもつということはそういうことではないか。
ポストポストモダンの先には強い物語で巻き込もうとする力があって
そのときに僕たちの現実を揺さぶるのは、やはり強い物語ではないだろうか。

佐々木さんがいうように、強い物語は人を引き込むから勿論危険でもあるんだけど。

今回も装置の使い方が素晴らしかった。
言葉遊びだけでなく、野田秀樹の芝居は役者や装置、舞台上のすべてのものに
多重の役割と意味を負わせる。
それが僕たちの悟性をある種麻痺させ感性を敏感にするのかもしれない。

松たか子は期待通りのよさ。動きも美しく、そしてやっぱり声がいい。
阿部サダヲもギャグからシリアスまでのグラデーションを自然にこなしていた。
僕は瑛太がとてもよくて、すみません、驚きました。
東京月光魔曲のときとMIWAのときはあんまり感じなかったんやけど
今回はとてもいいと思った。
エッグの妻夫木聡ともてもよかったし
野田秀樹も若い男の役者を育てる気になったのかなww

井上真央も素晴らしかったね。なんかああいう役輝いてたよ。
パンドラの鐘富田靖子にも似た感じの無邪気さと悪さが同居した役でしたな。
いいなぁ、井上真央

あと、銀粉蝶のラストはとてもよかった。あそこでも号泣。

新潮の戯曲を読み直してみたら
最初からビシビシとネタを振りまくっていて(意味を重ねていて)
こんなに計算されていたのかとびっくりした。
めちゃめちゃ完成度高いな。
そして号泣。